狭いエレベーターの中では上を向くことが、視線のかち合うことの気まずさや、沈黙の気詰まりの時間を回避してくれると思います。 考えすぎかもしれないけれど、狭くて閉鎖的な空間の中で上を向くことは、 “私には目的地がありますよ“という表明にもなって、 関心は同じエレベーターの中の人ではなく、行き先であるという表明にもなるのではと思います。 同じ目線に他の人の目線もある狭くて閉鎖的なエレベーターでは、目を閉じるのも躊躇われますし、上がベストなのかもと思います。 どちらからであるか忘れましたが、雑誌だったと思います、日本人が電車の座席で目を閉じるのは何故、を連想で思い出しました。 そこには確か、移動中に仮眠をとることは日本人の美意識に反しないからであると書いてありました。 パーソナルスペース的にも、座席なら目を閉じても割合安心感がある、人の目も逆に安心感になるとも書いてあった気がします。但しそれは相当安全な日本だからだと。 もう一度エレベーターに戻ると、なので、もしかして上を向くのは、安全だけど 見知らぬ人との擦れ違いざまの挨拶の習慣は乏しい、目線を逸らす方が普通である日本ならではのことかもしれません。
「あらそう。皆と合わせない人がいると何だか不気味に映るんでしょうね。そう考えると不審者というのは簡単に演じる事が出来そうね。逆に初対面でも気さくに話し掛けたり道を尋ねたりしやすい人もいるんでしょうし、外見や行動というのは大きな要素と言えそうね」
扉の開閉時にどう動くかの心の準備のためかな? 学生の頃アルバイトで、エレベータを社員達は「ベータ」と呼んでいてカッコ良かったです。 僕は上を見ながら「もし、1階に落ちたらジャンプしよう」とか考えています。
上を見るというと“向上心のある人”を想像しますが、そういう人を見ていると なんな〜く感謝とか充実感とかいうのが見受けられなくて、いつもいつも次々と何かを手に入れようとして“満足”というのを知らない人のような気がしてしまいます。少し登ったら、一旦立ち止まって 振り返って満足して 感謝して また登り始めるということも必要ですよね。 エレベーターですか?出入り口のそばなら正面、一番奥なら…と、立ち位置によって見る所違うかも… です。
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仕事疲れの時は特に下向きが多くありますね(^o^;)
「あらそう。昇っていても降りているような気分かしら。ボタン一つで心も簡単に上に行ったら楽でしょうね。でもたまには降りてこないとバランスが取れないかしらね」
密教のおフダを全面に貼って
魔除けの置物を設置したら
みんな安心して乗れるかなあ。
「あら、そうね。もし何かあったら霊のせいに出来るものね。皆安心して乗れるんじゃないかしら。怖がっている人がいたとしたら、それは責任を負わされる可能性がある霊だけなんじゃないかしら」
狭いエレベーターの中では上を向くことが、視線のかち合うことの気まずさや、沈黙の気詰まりの時間を回避してくれると思います。
考えすぎかもしれないけれど、狭くて閉鎖的な空間の中で上を向くことは、
“私には目的地がありますよ“という表明にもなって、
関心は同じエレベーターの中の人ではなく、行き先であるという表明にもなるのではと思います。
同じ目線に他の人の目線もある狭くて閉鎖的なエレベーターでは、目を閉じるのも躊躇われますし、上がベストなのかもと思います。
どちらからであるか忘れましたが、雑誌だったと思います、日本人が電車の座席で目を閉じるのは何故、を連想で思い出しました。
そこには確か、移動中に仮眠をとることは日本人の美意識に反しないからであると書いてありました。
パーソナルスペース的にも、座席なら目を閉じても割合安心感がある、人の目も逆に安心感になるとも書いてあった気がします。但しそれは相当安全な日本だからだと。
もう一度エレベーターに戻ると、なので、もしかして上を向くのは、安全だけど
見知らぬ人との擦れ違いざまの挨拶の習慣は乏しい、目線を逸らす方が普通である日本ならではのことかもしれません。
「あらそう。皆と合わせない人がいると何だか不気味に映るんでしょうね。そう考えると不審者というのは簡単に演じる事が出来そうね。逆に初対面でも気さくに話し掛けたり道を尋ねたりしやすい人もいるんでしょうし、外見や行動というのは大きな要素と言えそうね」
扉の開閉時にどう動くかの心の準備のためかな? 学生の頃アルバイトで、エレベータを社員達は「ベータ」と呼んでいてカッコ良かったです。 僕は上を見ながら「もし、1階に落ちたらジャンプしよう」とか考えています。
「あらそう。エレベーターとかエスカレーターとか、対応する日本語を作る間もなく広まった言葉という印象だものね。簡潔な日本語名も作ったら意外と広まるかもしれないわね」
こんばんは。
いつもは1階しか行かないです(^_^.)
7階には特設会場があって催し会場になってますよ。
「あらそう。1階に7回行けば特設会場に変わっているかもしれないわね。そうなると普段の1階はどこへ行ってしまうのかしら。司会でもするのかしらね」
上を見るというと“向上心のある人”を想像しますが、そういう人を見ていると なんな〜く感謝とか充実感とかいうのが見受けられなくて、いつもいつも次々と何かを手に入れようとして“満足”というのを知らない人のような気がしてしまいます。少し登ったら、一旦立ち止まって 振り返って満足して 感謝して また登り始めるということも必要ですよね。
エレベーターですか?出入り口のそばなら正面、一番奥なら…と、立ち位置によって見る所違うかも… です。
「あらそう。上ばかり見て躍起になっている人は何かを見失っているカンジかしら?あまり他の場所とは一緒に見れないのが上なのかもしれないわね」
そのとおりですね、エレベータ式の学校に行ったからって上ばかり見ていると、大学に入った時に足元をすくわれます。エリートよりも地に足がついた人の方が、ずっと堅実な人生を送れるというものです。
「あら、そうね。一歩ずつ着実に進むのも悪くないわね。全ての景色を知らないと気が済まないものね。って、私だけかしら」