度々すみません。。。ちょっと論旨が浅かったので、もうちょっと引っ張らせてください。 マンガを描いて収入を得るというのは、絵を描くことが好きな者にとって幸せな夢です。 夢がかなうならば、少々不遇でも耐えてしまえる。相当不遇でも、愚痴りながらも耐えてしまう。 そしてその上に「君臨」しあやかる人がいる。 似たような構造は、アニメや理容師の世界にも普通に見られます。残酷な経済ヒエラルキーです。 ところでアニメーターの名前が公表されるのは、邪推ですがディズニー等の影響ではないかと。 アメリカでは、アニメーションはどちらかと言えば観念上「絵の映画」として発達した、みたいなことを何かで読んだことがあります。 映画ととらえているなら、作品の構成も映画の習慣を取り入れても不思議はない。映画は関わったスタッフを字幕で紹介するので、これに似せてアニメも作った。 これに対し、アニメ後進国の日本は海外のお手本がやっていたことを何の疑問もなく取り入れ、その結果アニメーターたち裏方が字幕で流される習慣が定着したのでは、と考えています。 日本のアニメや漫画がディズニーの影響を強く受けた(手本にした)事は間違いないと思います。 一時期の日本のマンガは、画風がクラシックディズニーに似てると思います。鉄腕アトムのヒゲ親父なんか、どう見てもダンボに出て来る興行師そのものやないか~っ。 すみません、タイクツな話を…誰も聞いてくれないんすよぉぉ。。。 余談ながら、日本ではアニメを「動くマンガ」的に捉えて発達させたと書いてありました。最小限の動きでアニメを量産し、毎週連続テレビ放映する手法はとてもマンガ的です。じっくり時間と金を掛け、映画館に沢山観客を動員するディズニー映画とは対照的です。
別にマンガで稼いで成り上がった人達の肩持つ気なんか塵ほどもないのですが、マンガというものは世の中のニーズに対して余りにも制作に時間がかかる物です。 この私もたまに狂ったように低質なマンガを描きますが、マンガを描くのはなにせ手間がいる。、構想→ネーム作成というか下描き→ペン入れチマチマチマ→トーン切り張り・削り→べた塗り→ゴマカシ→自己欺瞞→自己満足…と、とても手離れの悪いものです。昭和の4コマ物の様でない限り、自ずと時間がかかるのです。こんな私でさえアシさん2~3人抱えたい程なのですwwwww。 これを頑固一徹ワシ一人で十分じゃあゴホゴホとかいいながら独りで描こうもんなら、世の中の経済活動から遠く置いてけぼられ、食うにはほど遠いこととなるでしょう。 そういえばマンガには原作者と絵の担当が分かれていて、はなっからマンガを描く気がない宣言をしている方々もおられます。心のマンガ家とでもいうのでしょうか。もっといえば私は心のハイパーダンサー、心の働き者、心の高額納税者です。 ゴメンナサイ、このところあまり人様のブログに行けてなくて・・・時々お邪魔してはいたのですが。。。
「あら、そうね。漫画もアニメも製作にはとにかく時間がかかるわね。でも何故アニメと違って漫画はアシスタントの名前が一切出てこないのかしらね。それを何故誰も不思議に思わないのかしら。ずいぶんと漫画雑誌も売れなくなっているみたいだから、更にアシスタント達の労働状況が悪化するような気がしてしまうわね」
そうだよ まさしく薔薇だね 薔薇は花は綺麗だけど茎には棘がある 泥臭さの連続だよね そうだよね 継続だよね プロはやらかさないんだよね 成功よりまず失敗しない事 定石 とにかく頑張るしかないわ 今さらプロなんか無理だけど 大会の1つや2つ、あの世に逝く時に何か勲章を持って行かねばな
プロとアマチュアの違いについて、私は恋愛と同じような感覚を持っているんです。どういう事かと言うと【憧れ】が【本気】になったら綺麗ごとだけでは済まされない…と。なんか世の中の全てに裏と表は必ずあると思うし、蓮や白鳥に例えられるように見えている部分は人が“憧れ”を抱くように見せて、水面下は…泥。 でもね…憧れのままにするも良し、裏側にある汚いものも受け入れて その厳しさの中で自分と葛藤しながら目標を貫く人も私は凄いと思います。 私は『公認会話士』という人の書く小説にも なんだかそうゆうものを感じてしまうんですよね。闇の中の美しく輝く優しい光みたいなもの。 仕事でも恋愛でも結婚でも何でも尊敬できる人のアシスタントなら自分が無名のままでも喜んで出来るなあ〜。尊敬出来なくなったら反逆して戦っちゃうかもしれないけど…。戦うのもバカらしい程 呆れたら黙って其処から離れる…か。。だろうなぁ… ノルマ…ゴースト…インサイダー… 世の中 お金が絡めば綺麗事では済まされない事が いっぱい。 『何十人何百人何千人のヒトと その家族の生活が この手に掛かっているんだー!』というのが お決まりのセリフでしょうか…。
「あら、そうね。アシスタント側が憧れの世界で仕事が出来るだけで幸せ、という何も求めないだけの気概があるとしたら素晴らしい事だと思うけれど、でも雇う側はその好意を利用してしまってはいけないわね。それこそが憧れられる存在側の矜持というか、ちゃんとした仕事としての姿勢を見せるべきなんじゃないかしら。でもお互い忙しくて何が何だか分からない状況になっている恐れがあるわね。編集者がそういう契約をしっかり管理して請け負うべきなんでしょうけれど、その編集者が最も利用する気が満々という気もするし、全く出版社というのはろくな人がいないわね」
そういえばマンガ読んでて、いつもと違うタッチのキャラクターを見ることがあります。 ファッションショー行ったこと無いです。 モデルの人の着替えで思い出したんですが、信長が、急いで戦いの準備をする時、素早くお茶漬けを食べて、信長が前を睨んで両手を広げるだけで、衣服や刀をセットしてもらうシーンがカッコ良くて、憧れてました。 さすがに、それは無理なんで、お茶漬けだけは、たまに真似してます。
「あら、そうね。メインのアシスタントが急病なのか何なのか、突然数話だけタッチが変わったりするわね。でも同じ作家の作品として扱われるのが漫画の不思議なところかしら。あらそう、昔の人は着替えや食事に手間取っただけで命取りだったりするんでしょうからね。余程気が強くないと精神病になってしまうような世の中じゃないかしら」
他の方のブログの記事で、あ、その方は アンチ作家?みたいな考えで 売れてる作家が 実はノルマがあって だから自分で納得の出来る文を書いていないって 自分はそうはなりたくないって そんな記事を読んだ事あります(公認会話士さんとも一度 そんな話ししましたよね?)俺は作家じゃないから 無責任にその 話しをどうこう議論しようなんて思ってないんだけど 折角、(作家さんが)夢を叶えられたのに なんだかなぁって ちょっとだけ考えさせられます…ごめんなさい 答えのない話しをして ファッションショーは 行った事ないです どちらかというと 恥ずかしがり屋(オシャレの先駆けみたいな所 ちょっと赤面してしまいます)だから 今後行く機会があったとしても 回避したいくらいです 公認会話士さんは行った事ありますか?
「あらそう。ずいぶんと編集の手が入ったり、修正されたりする事もあるみたいだものね。出版の前に他人の意見で内容が変更になる、というのは納得いかない作家も多いんじゃないかしら。特に実績のない新しい作家は編集者の言いなりになってしまいそうね。あら、書き留めている人はどれくらいファッションに興味があるのかしらね。少なくともコスプレには何やら思い入れがあるみたいだけれど。コスプレのイベントも考えようによってはファッションショーみたいなものなんでしょうね」
わが故郷新潟は、数多くの漫画家を輩出しています。漫画とアニメの専門学校もあります。21歳までにデビューできなければあきらめた方がいいとも言われてますけど、そういう常識を打ち破る人が現れないもんですかね。ちなみに自分はファッションデザインにも関わりましたが、ショーには行ったことはありません。
「あらそう。ずいぶんデビューまでの期限が早いのね。人生経験の多さでどんどん表現の幅が広がって面白くなるものだと思うけれど、でも基本的に子供が相手の漫画では同じような感覚の持ち主の方が向いているのかもしれないわね」
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度々すみません。。。ちょっと論旨が浅かったので、もうちょっと引っ張らせてください。
マンガを描いて収入を得るというのは、絵を描くことが好きな者にとって幸せな夢です。
夢がかなうならば、少々不遇でも耐えてしまえる。相当不遇でも、愚痴りながらも耐えてしまう。
そしてその上に「君臨」しあやかる人がいる。
似たような構造は、アニメや理容師の世界にも普通に見られます。残酷な経済ヒエラルキーです。
ところでアニメーターの名前が公表されるのは、邪推ですがディズニー等の影響ではないかと。
アメリカでは、アニメーションはどちらかと言えば観念上「絵の映画」として発達した、みたいなことを何かで読んだことがあります。
映画ととらえているなら、作品の構成も映画の習慣を取り入れても不思議はない。映画は関わったスタッフを字幕で紹介するので、これに似せてアニメも作った。
これに対し、アニメ後進国の日本は海外のお手本がやっていたことを何の疑問もなく取り入れ、その結果アニメーターたち裏方が字幕で流される習慣が定着したのでは、と考えています。
日本のアニメや漫画がディズニーの影響を強く受けた(手本にした)事は間違いないと思います。
一時期の日本のマンガは、画風がクラシックディズニーに似てると思います。鉄腕アトムのヒゲ親父なんか、どう見てもダンボに出て来る興行師そのものやないか~っ。
すみません、タイクツな話を…誰も聞いてくれないんすよぉぉ。。。
余談ながら、日本ではアニメを「動くマンガ」的に捉えて発達させたと書いてありました。最小限の動きでアニメを量産し、毎週連続テレビ放映する手法はとてもマンガ的です。じっくり時間と金を掛け、映画館に沢山観客を動員するディズニー映画とは対照的です。
別にマンガで稼いで成り上がった人達の肩持つ気なんか塵ほどもないのですが、マンガというものは世の中のニーズに対して余りにも制作に時間がかかる物です。
この私もたまに狂ったように低質なマンガを描きますが、マンガを描くのはなにせ手間がいる。、構想→ネーム作成というか下描き→ペン入れチマチマチマ→トーン切り張り・削り→べた塗り→ゴマカシ→自己欺瞞→自己満足…と、とても手離れの悪いものです。昭和の4コマ物の様でない限り、自ずと時間がかかるのです。こんな私でさえアシさん2~3人抱えたい程なのですwwwww。
これを頑固一徹ワシ一人で十分じゃあゴホゴホとかいいながら独りで描こうもんなら、世の中の経済活動から遠く置いてけぼられ、食うにはほど遠いこととなるでしょう。
そういえばマンガには原作者と絵の担当が分かれていて、はなっからマンガを描く気がない宣言をしている方々もおられます。心のマンガ家とでもいうのでしょうか。もっといえば私は心のハイパーダンサー、心の働き者、心の高額納税者です。
ゴメンナサイ、このところあまり人様のブログに行けてなくて・・・時々お邪魔してはいたのですが。。。
「あら、そうね。漫画もアニメも製作にはとにかく時間がかかるわね。でも何故アニメと違って漫画はアシスタントの名前が一切出てこないのかしらね。それを何故誰も不思議に思わないのかしら。ずいぶんと漫画雑誌も売れなくなっているみたいだから、更にアシスタント達の労働状況が悪化するような気がしてしまうわね」
そうだよ
まさしく薔薇だね
薔薇は花は綺麗だけど茎には棘がある
泥臭さの連続だよね
そうだよね
継続だよね
プロはやらかさないんだよね
成功よりまず失敗しない事
定石
とにかく頑張るしかないわ
今さらプロなんか無理だけど
大会の1つや2つ、あの世に逝く時に何か勲章を持って行かねばな
「あらそう。ネットの普及で失敗に物凄く厳しい世の中になった印象だものね。人に人を裁く事なんて出来ないと思うけれど、私刑が死刑並みに恐ろしくなっている印象かしら。勲章も汚点も一生残ってしまうものね」
プロとアマチュアの違いについて、私は恋愛と同じような感覚を持っているんです。どういう事かと言うと【憧れ】が【本気】になったら綺麗ごとだけでは済まされない…と。なんか世の中の全てに裏と表は必ずあると思うし、蓮や白鳥に例えられるように見えている部分は人が“憧れ”を抱くように見せて、水面下は…泥。
でもね…憧れのままにするも良し、裏側にある汚いものも受け入れて その厳しさの中で自分と葛藤しながら目標を貫く人も私は凄いと思います。
私は『公認会話士』という人の書く小説にも なんだかそうゆうものを感じてしまうんですよね。闇の中の美しく輝く優しい光みたいなもの。
仕事でも恋愛でも結婚でも何でも尊敬できる人のアシスタントなら自分が無名のままでも喜んで出来るなあ〜。尊敬出来なくなったら反逆して戦っちゃうかもしれないけど…。戦うのもバカらしい程 呆れたら黙って其処から離れる…か。。だろうなぁ…
ノルマ…ゴースト…インサイダー…
世の中 お金が絡めば綺麗事では済まされない事が いっぱい。
『何十人何百人何千人のヒトと その家族の生活が この手に掛かっているんだー!』というのが お決まりのセリフでしょうか…。
「あら、そうね。アシスタント側が憧れの世界で仕事が出来るだけで幸せ、という何も求めないだけの気概があるとしたら素晴らしい事だと思うけれど、でも雇う側はその好意を利用してしまってはいけないわね。それこそが憧れられる存在側の矜持というか、ちゃんとした仕事としての姿勢を見せるべきなんじゃないかしら。でもお互い忙しくて何が何だか分からない状況になっている恐れがあるわね。編集者がそういう契約をしっかり管理して請け負うべきなんでしょうけれど、その編集者が最も利用する気が満々という気もするし、全く出版社というのはろくな人がいないわね」
そういえばマンガ読んでて、いつもと違うタッチのキャラクターを見ることがあります。 ファッションショー行ったこと無いです。 モデルの人の着替えで思い出したんですが、信長が、急いで戦いの準備をする時、素早くお茶漬けを食べて、信長が前を睨んで両手を広げるだけで、衣服や刀をセットしてもらうシーンがカッコ良くて、憧れてました。 さすがに、それは無理なんで、お茶漬けだけは、たまに真似してます。
「あら、そうね。メインのアシスタントが急病なのか何なのか、突然数話だけタッチが変わったりするわね。でも同じ作家の作品として扱われるのが漫画の不思議なところかしら。あらそう、昔の人は着替えや食事に手間取っただけで命取りだったりするんでしょうからね。余程気が強くないと精神病になってしまうような世の中じゃないかしら」
他の方のブログの記事で、あ、その方は アンチ作家?みたいな考えで 売れてる作家が 実はノルマがあって だから自分で納得の出来る文を書いていないって 自分はそうはなりたくないって そんな記事を読んだ事あります(公認会話士さんとも一度 そんな話ししましたよね?)俺は作家じゃないから 無責任にその 話しをどうこう議論しようなんて思ってないんだけど 折角、(作家さんが)夢を叶えられたのに なんだかなぁって ちょっとだけ考えさせられます…ごめんなさい 答えのない話しをして
ファッションショーは 行った事ないです どちらかというと 恥ずかしがり屋(オシャレの先駆けみたいな所 ちょっと赤面してしまいます)だから 今後行く機会があったとしても 回避したいくらいです
公認会話士さんは行った事ありますか?
「あらそう。ずいぶんと編集の手が入ったり、修正されたりする事もあるみたいだものね。出版の前に他人の意見で内容が変更になる、というのは納得いかない作家も多いんじゃないかしら。特に実績のない新しい作家は編集者の言いなりになってしまいそうね。あら、書き留めている人はどれくらいファッションに興味があるのかしらね。少なくともコスプレには何やら思い入れがあるみたいだけれど。コスプレのイベントも考えようによってはファッションショーみたいなものなんでしょうね」
漫画のメイキング映像をDVDで付けて!
「あら、とんでもない修羅場が映っていたりするのかしらね。眠ろうとしたアシスタントをペン先で刺したりするのかしら」
おはようございます。
アシスタントさん、お気の毒です(-。-;
「あら、そうね。何となく体育会系の悪しき風習を想起させる業界なんじゃないかしら。若手の技術向上には良いんでしょうけれど、でも弱い立場で虐げられているのも事実なんじゃないかしらね」
わが故郷新潟は、数多くの漫画家を輩出しています。漫画とアニメの専門学校もあります。21歳までにデビューできなければあきらめた方がいいとも言われてますけど、そういう常識を打ち破る人が現れないもんですかね。ちなみに自分はファッションデザインにも関わりましたが、ショーには行ったことはありません。
「あらそう。ずいぶんデビューまでの期限が早いのね。人生経験の多さでどんどん表現の幅が広がって面白くなるものだと思うけれど、でも基本的に子供が相手の漫画では同じような感覚の持ち主の方が向いているのかもしれないわね」