あらそう。お婆さんがせっかくちょうど良い重さの荷物を作って足腰を鍛えているのに、完全に邪魔してしまっているわね。お年寄りが一度寝たきりになってしまうと、そう簡単に歩けなくなるわよ。教科書だって、せっかく教師が【忘れた者はコピーを配るから名乗り出るように】と言ってくれたのに、既に借りた事で安心して申告せずにいたら、その日はなんと教科書に直接授業内容を書き込む形式の授業で、流石に借り物だから書き込むわけにもいかず、結局それに気付いた教師に【何故最初に正直に名乗り出ないんだ】とこっぴどく叱られてしまうわよ
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おぉ☆
いい人もわるい人もいないって、
ちょいと面白いですょね。。。(^-^)
ちなみに、
瞳的にわ、
ミニーサンわ
善、偽善、偽悪、悪でいったら、
偽悪よりのツンデレ美人さんなイメージですー!!(/・ω・)/
「あら、私は偽悪だったのかしら。とんでもない悪には中々なれないものなのかしらね。良い人なのか悪い人なのか、どちらなのかしら」
被災地に無償で物資を送ったり
無償でサービスしに行ったりすると
現地の産業の競争力を削いでしまう
という側面がありますね。
例えば、被災地に食べ物を持ってって
料理して提供したのに、
現地のスーパーで食材・資材が山積み
なのを見てしまった僕みたいに。
「あらそう。そういう現実もあるのね。既に復旧して商売を再開している人も大勢いるでしょうからね。本当に必要とされている事が何なのか、こんな時こそ勢いで行動せずに冷静に見極める事が重要という事かしら。結局のところ確実で誰にとってもありがたいのはお金の支援なんでしょうけれど」
損得を考えて 優しい言葉をかけるのが 悪い人
相手の気持ちになって (例えば励ましたいとかそんな理由で)言葉をかけれるのが 優しい人
相手に厳しい事を言えるのは 強い人
相手の事を考えて 厳しい事を言うのは 強くて優しい人
相手の意見に流されるのは 弱い人
すみません(汗)考えはあるんだけど まとめられなくて(さっきからずっと考えていました)箇条書きにしたけど……相手の気持ちを思いやる人が 優しい人なのかな?って 箇条書きから思いました
公認会話士さんは どう思いますか?
「あらそう。環境や状況によって常識も違うし、悪いとされる行為の内容も変わってくるし、求められる内容も違うから難しいわね。結果はどうあれ相手の立場にたって思いやれる人が良い人という事かしらね。あら、書き留めている人はどうかしら。良い人でも悪い人でもいられないというか、双方の側面がちゃんと見れないとならない立場と言えそうね」
「良い人」は「人当たりが良い人」とかなのか・・。 「どうでもいい人」ならイヤですね。 たしかに、年老いた人に席を譲るのは判断が難しいですね。 映画やドラマで、悪そうな人が実は優しいっていうと感動するのに、「ハラグロ」っていう言葉はあっても「ハラシロ」という褒め言葉は無いなあ・・。
「あら、そうね。どうでもいい人が実は良い人なのかもしれないわね。関われば関わるほど嫌な面が見えてくるものね。お年寄りも善意だけ受け取ってくれれば良いけれど、日本語は何でも深読みする言語だから馬鹿にされたような気がしてしまうんでしょうね」
昨日の風呂場の宇宙人や遺体といい、今日の良い人といい、この頃は特殊な例えが絶好調ですね。春を通り越して夏日のようなこの頃ですが、さらに頭の回転は絶好調と言えるでしょうか。
「あら、そんなに回転していたかしら。夏になるとカキ氷機とか扇風機がよく回るから、私の頭も一緒に回ったのかもしれないわね。そのうち煙でも出てくるんじゃないかしら」
「悪いように見えて実は良い(親心のある)人」っていました。
水商売のママ系ですね。
思い出すとその人がいたから物事の善悪を学べたんだな、と思い返したりしますね。
優しいだけが「愛」じゃないと。。
「良心」
カトリックやプロテスタントのバプテスマを受けると、イエス・キリストを通して創造主なる神から「正しい良心」が与えられ、その人のうちに宿るのですが。。
「あらそう。外見で損している人もまたたくさんいるんでしょうからね。でもそう思ってもらえる事で得をするケースもたまにはあるでしょうから、自分でどう利用するかどうかが重要かしら。結局滲み出るもので勝負するしかないのかしらね。でも私はしっかり隠してしまうけれど」
ナイーブな人ほど傷つくのが怖かったりしますよね、、長い間僕もありました
というのも本音というのは弱いもの(例えば好きな異性に告白すること)
本心を出せる人とそうでない人がいたり
中島みゆき「軽く軽く傷ついて行け~♪」(ローリング)
参考になれば(o^―^o)
・・・とか言いながら僕も簡単に人は信頼しませんが(笑)
こんにちは。
昔、女性から、
「あなた、良い人」と
よく言われました(笑)
「あらそう。都合の良い人と一度思われてしまうとあとが面倒になりそうね。逆に最初はとにかく悪人として振舞った方が後々得をするんじゃないかしら」
人間誰しも、良い人悪い人半々くらいのものじゃないですかね。まあ、ただ無知と憎しみは良くないですから、ふと立ち止まって、自分はこれでいいのかな、と考えられる人とか、どこか飄々として人に寛容な人、そんな人になりたいと常々思っております。
「あらそう。良いと悪いは表裏一体だものね。どんな人になりたいのかを意識して突き進むしかないというカンジかしら。理想とする形ほど難しいのかもしれないけれど」