うるさいわね。大声を出せば運命が捻じ曲がって理想的な未来に変わると思ったら大間違いよ。人の一生なんて誰にも予想はつかないし、過去や現在に何を感じたとしても未来の感情までは保障出来ないわ。時間は流れていく水のようなもので、感情は全て水性絵の具のようなものよ。最初は喜怒哀楽が鮮やかな記憶として残っても、必ず時間と共に薄れて消えていくわ。だから運命というのは過去の時間の積み重ねの結果でしかなくて、いつの間にか横にいる人が運命の相手になっているだけなのよ。まだ見ぬ未来に運命を感じるのは自己満足の思い込みでしかないんじゃないかしら
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どうなんですかね… 例えばの話し この人と付き合いたいとかって(もしかしたらあまり良い表現じゃないかも知れないけど)付き合いたい人を選ぶじゃないですか? で、相手も誰かを選ぶから だから私は 運命的なものは 違うような気がするんです
もしかしたら インパクト的な出会いを経験しないで 今まで生きて来ただけなのかも知れないけど
ちょっと難しいお題でした
公認会話士さんは どう思われますか?
「あらそう。その気になれば何をしても運命を感じるかもしれないし、何をしても感じないかもしれないものね。相手を特別視したい、という思い込みの産物かしら。あら、書き留めている人はどうかしらね。きっと運命的な作品を執筆出来たら良いんでしょうね」
ドラマチックな出会いしてる人っているんでしょうか(クラス替えのたびに、同じクラスになるとか、ありますね。同性、異性とも) グルメレポーターの名前が思い出せない時に「うんめー」の人、って言ったり・・・。
「あら、どうなのかしらね。あまり親しくない人に限ってずっと同じクラスだったり、そういう事もあるんじゃないかしら。教師は意外とクラス替えのためにちゃんと人間関係を見ているらしいものね。だから同じクラスになりたければ教師の目を普段から欺いておく必要があるんじゃないかしら」
おはようございます。
運命は、
ベートーベンですね(笑)
「あら、そうね。芸術家がどんな運命を辿るのかも本人には全く分からないんでしょうね。というより先が分かったら創作意欲なんて湧かない気がするものね」
たとえお見合いや婚活パーティーで出会ったとしても、二人で気が合って幸せなら、それは運命の相手じゃないですかね。続くかどうかは別として…運命とは待ってるものではなく作るものだと思いますよ。
「あら、そうね。結局のところ結果論でしかないものね。死ぬ時に実は運命の相手だったと思えればそれで充分なんじゃないかしら。過度に期待するとロクな事にならないのが人生だものね」