家・街・道路・公共施設……震災被害からの本当の復興とは

ブログネタ:2011年3月11日何してた

ミッキー
大きな震災の爪痕ってのはいつまでも残るもんだな
ミニー
ええ、そうね。いつまでというか永遠に残るわよ
ミッキー
え、復旧する日は来ないと思ってるのか?
ミニー
違うわよ。犠牲になった人がいたり、トラウマが残ったり、皆何かしらの心の傷を負ったじゃないの。もし国や街が復興しても人間の心は元に戻らないものね
ミッキー
なるほど、亡くなった人もたくさんいたからな。でも乗り越えて前向きになれればそれもまた復興なんじゃないのか?
ミニー
あらそう。あなたは既に乗り越えたのかしら?一緒に精神的に弱っている人同士はお互いに優しく出来るけれど、そうでない人というのは嫉妬ややっかみの対象になるのが世の中じゃないかしら。後ろから襲われたりするかもしれないから気をつけてちょうだい
ミッキー
地震の記憶から前向きになっただけで襲われるなんて酷過ぎるぞ!
ミニー
うるさいわね。津波のような轟音が鼓膜に押し寄せてきているから気をつけてちょうだい。こんな都内でどうやって高い土地に逃げろというのかしら。中目黒に今すぐ行けると思ったら大間違いよ
ミッキー
おい、それは海抜じゃなくて土地の値段が高い場所じゃないか。全然違うぞ
ミニー
あら、そうね。地盤がどうだかも分からないのに利便性だけで法外な値段で物件を売り捌いたりして、そのうちとんでもない事になるんじゃないかしら。もし東京が壊滅的な被害に遭う日が来たら、それ以降は都心を移動させようという意見が出てきてもおかしくないわよ。そうなると山岳地域に都市機能が全て移動するんじゃないかしら
ミッキー
なるほど。今はほとんど人のいない農村地帯が急に日本一地価の高い土地になったりするわけか。まぁ将来はどうなるか分からないからな
ミニー
ええ、そうね。数百年後には徐々に埋め立てていって日本とワシントン州が陸続きになるかもしれないものね。そうなったら日本人は皆ユタ州辺りの山の中に住むようになるわよ
ミッキー
何だか想像もつかないけどな……アメリカの西海岸だってたまに大きな地震があるはずだけど……って、とにかく、2011年の3月11日に何をしてたか、って話だぞ
ミニー
あら、それはもう揺れていたんじゃないかしら
ミッキー
いや、何だか地震を軽く扱ってるようにも聞こえるんだけど……
ミニー
あら、そうかしら。未曾有の震災が巻き起こっている映像を観て誰もが動揺したんじゃないかしらね。地面が全く揺れなかった地方の人も思い切り心が揺れたはずよ
ミッキー
なるほど。さっき言ってた話に繋がるわけか。確かに日本人の誰もが恐ろしかった記憶を残したままだからな。って、結局一体何をしてたんだ?
ミニー
しつこいわね。それはもう大いに揺らしてしまう事になるんじゃないかしら
ミッキー
いや、だから一体何を……
ミニー
しつこいわね。あなたと会話していたんじゃないかしら?アメーバブログで【こんな時に今後も今まで通りのブログを続けるべきか】というのを読者に問うたものね。でもそうなると私達は5年前どころかそれもよりもかなり前から高校1年生で、今も同じように……
ミッキー
ちょ、ちょっと待った!ややこしい話になるからちょっと待ってくれ!
ミニー
あら、だから大いに時間軸や常識を揺らしてしまうと言ったじゃないの
ミッキー
そういう意味か!

公認会話士が出版した小説一覧はこちら

スポンサーリンク

公認会話士

電子作家の公認会話士です。 2015年4月、アメブロとFC2から引っ越してきました。 気楽に楽しめる作品をビシバシ更新していくつもりなので、気が向いたらいつでもお立ち寄りください。

View Comments

  • 3.11の時は俺は普通に過ごしていて、震災後は募金程度しか出来ませんでしたが、その分も兼ねて、熊本の震災の直後からJUGEMの方で「音楽で元気を」をスタートさせました。
    俺のそのブログの人気記事ランキングを見る機会が先日あったのですが(普段使っている媒体では見られない)、TOP10の中に4つ程音楽の記事がランクインしていたので、俺のブログ記事の中ではある程度人気がある様で良かったです。
    どの瞬間でも、自分に出来る事が何か一つでもあるなら、それを全力で行う事が必要なんだと思います。

    • 「あら、そうね。個人でも何かしら出来る事はあるものね。どんな形でも風化させずに軽んじない事が重要かしら。楽しい事は余計な事を考えずに楽しみたいわね」

  •  自粛めいた空気に任せて活性を失うことよりも、みんなで笑顔を取り戻す為に笑って動いて、出来れば少しお金使って楽しくやって盛り上げて行くのがいいのでしょう。
     何より今日、二人の対話読んで、あなたが永遠の高1である理由がわかってよかったです。

    • 「あら、そうね。当時は何でも自粛ムードで、日本中の行事が中止されていたわね。あの頃から日本人の【不謹慎狩り】が始まったんじゃないかしら。残念ながらどんどん過激になっている気がするけれど、そんな事を気にしないで自分の楽しい事だけに集中出来る世の中になると良いわね」

  • あの日は知人のリリー賞の授賞式で、東京からの帰りでした。横浜駅からバスに乗って家に向かう途中に地震が起こり、ハザード付けて道の端に停まった市バスの運転手さんが、大きな揺れだとアナウンスしてました。家に着いてテレビをつけたら津波の映像が流れていましたね。それから1か月くらい、僕はある医療系のNPOの本部で現地に送る支援物資の仕分けとかやっていました。このコメントにオチはないです。

    • 「あらそう。幸か不幸か、そういう事があった日というのは物凄く詳細まで記憶している人が多いんでしょうね。新たな記憶に上書きされない事を願いたいけれど、準備は怠らないようにすべきかしら」

  • こういう災害での 不幸って どう解釈(気持ちの整理)して良いのか わからないです 言葉に出来ません……
    私は あの日 後輩とおばあちゃんの現場に入っていて 和室の天井竿を(廻縁に)彫ってました で ラジオもつけてなかったから その時は なんかすごくゆれたねって くらいの話ししかしていなくて 会社に帰って来て 他の人に大惨事のこの聞いて びっくりしたの覚えています
    ブログをはじめたのが 2011年の 1月30日だから はじめて一ヶ月くらい あの大惨事で なんかブログをupする気持ちになれなくて(こんな時に私の日常を書くのもどうかと思ったし かといって 私が被害者の方にエールを送るのも なんか失礼に感じて)一週間くらい休みました

    私が公認会話士さんのところに遊びに行くようになったのは それから1年ちょっとあと だから その時公認会話士さんが どうされていたのか 私は知らないのだけど公認会話士さんの (アメ)ブログに その時の記事が残って?いて 自分達は 慌てず 普段通りに過ごさなければいけない みたいな事書いてあって とても(後からだけど)共感(と言うか 教えられたみたいな)しましたよ……

    私のところでも すごくゆれたたから やっぱり東京はすごかったんですよね?公認会話士さんは あの時 どうされていましたか?

    • 「あら、そうね。何かしたいと思っても、何をしたら良いのか分からない、という人が多かったんじゃないかしら。計画もなくとにかく現地に行ってしまったりね。やはりある程度落ち着いて現地の人達の声が届くのを待つしかないのかもしれないわね。あら、東京もかなり揺れたわね。棚の物が落ちたり、屋根瓦が剥がれたりした家も結構あったんじゃないかしら」

  • 震災3年後でも被災地の沿岸部の
    夜には人家の明かりが無く、この
    死んだような街を生き返らせるには
    僕が移住してくるしかないんじゃないか、とすら思われました。

    • 「あらそう。人や家だけでなく店や雇用もないと中々難しいものね。いつか人が戻るのか、何か画期的な利用法を誰かが思い付くのか、のどちらかしらね」

  • おはようございます。

    ブログも続けると5年ぐらい
    あっと言う間に経ちますね。

    • 「あら、そうみたいね。ここは後どれくらい続くのかしら。近いうちにFC2ブログの過去の会話もこちらに移動させようかと計画しているみたいだけれど、双方が大いに揺れるのかしらね」

  • あの日のことは忘れられません。直接の被害はなかったものの、なんか禍々しいというか、異様な何者かの「悪意」が感じられるような揺れ方でしたね。とんでもないことが起こった、というのはすぐに直感でわかりました。あれが自然の猛威というやつなんですね。

    • 「あら、そうね。都内の人も大いに動揺して、必要ないものまで買い占めたりしていたものね。人間の心が揺れなければ2次災害にはならないと思うけれど、その教訓は果たしてどれくらい人々の心に残っているのかしら」