「ほら!早く脱ぎな!」
裸の母が力任せに俺の服を脱がせた。
痛さと恐怖とで押し黙っていると、
「ほら、早く入って!」
頭を小突かれるようにして風呂場に押しやられた。
母は湯船に入り、そこから手を伸ばしてシャワーを手に取り、まだ水しか出ないシャワーを頭から掛けられた。
「冷たい!」
「すぐお湯になるから我慢しな!光熱費が勿体無いじゃないか」
ようやくシャワーが温かくなってきたタイミングでシャワーを止められ、シャンプーのボトルを一度押して、俺の頭を乱暴に掻き混ぜ始めた。
「あー、もう、冷たい頭だねぇ。ほら、自分でやんな!こうやって泡立てて、その泡で身体も洗うんだよ」
言われた通りにすると、また冷たくなってしまったシャワーを頭から掛けられた。
「ほら、もう身体拭いて出な!次からは一人で入るんだよ!」
ガタガタ震えながらパジャマを着て、走るようにして部屋に行き、急いで布団にくるまった。
髪を充分に拭き切ってなかったのか、冷たい水滴がいくつも頬を伝った。
――ああ、そうか。
すっかり忘れていたが、俺は母と一緒に風呂に入った事があったじゃないか。
「まどっち!」
湯船に入ってないし、あれが【一緒に風呂に入った】なのかどうかは分からないが。
「まどっち!」
今までずっと風呂場には長時間いたくない気がしてたけど、ちゃんと理由があったんだな。
「っ!!!!」
「!?」
突然口を塞がれた。
目を開ける。
何かが目の前にある。
近過ぎて焦点が全く合わない。
数秒して、目の前の物体が少し離れた。
え、アンナ?
と思いきや、再び至近距離に。
また口を塞がれた。
今までに体験した事の無い不思議な柔らかさと弾力が唇に伝わった。
え、これって……?
俺のファース……、
口の中に思い切り空気を入れられる。
「ふがっ!?」
「まどっち!?」
離れた顔を見ると、やはりアンナだ。
アンナの口が俺の口を……?
「生きてる!?」
「んあ?ああ、何がどうなったんだ?」
「まどっちが全然起き上がらなくて、そのまま目を閉じて力が抜けちゃって、早くお湯を抜かなきゃ、って思って」
言われてみると確かに俺は湯船の中に寝転がっているみたいだが、お湯が無くなっている。
そっか。俺は溺れて気を失ってしまったわけか。
手をどけてくれればすぐ起き上がれたのだが……これはアンナには絶対に言わないでおこう。
「へっくしょっ!」
脳が覚醒した事で、急激に寒くなってきた。
きっと身体は無意識下でも寒さを感じて、昔の妙な記憶を引っ張り出してきたんだろうな。
くそっ。
嫌な記憶だ。
「寒い?」
「うん、まぁ少し……ぬをっ!?」
泣きそうな顔のアンナが再び俺に覆いかぶさってきた。
先程はパニック状態でよく分からなかった全身の感触を思い切り感じる。
「うわーん!失敗したかと思った!」
「………………」
安心したのか何なのか、アンナは泣き出してしまった。
そういえば昨日も【失敗】って言ってたような。
どういう意味だろう。
「まどっち死んじゃうのかと思った。死んじゃダメなのにー!」
ああ、なるほど。
自分がいる事で誰かが迷惑や被害を被る事を【失敗】と言っているのかもしれない。
とか何とか、それっぽく真面目に考えを巡らせている場合ではないのである。
全裸で仰向けに寝そべる俺に、全裸のアンナがうつ伏せに覆いかぶさっている。
これは反則だ。
脳と心だけでなく、身体もアンナに支配されてしまう。
アンナはいつかいなくなってしまうのに。
「温かくなった?」
声が直接身体に響く。
それだけでアンナの柔らかさと重さを全細胞が感じる。
「アンナは?背中寒くないか?もう一度お湯を出そう」
何とか冷静さを失わないように。
冷静に冷静に。
「いい。まどっちの方が温かい。手でさすってー」
そんな事を言われたら、手で直接アンナに触れてしまったら、俺は冷静さを完全に失ってもう思い切り抱き締めるしかなくなるような気がする。
でも言われた通りに背中をさすってみる。
背中ってこんなに触り心地が良いものなのか?
もちもちとしてすべすべして、俺の手に吸い付くために存在する物質のようだ。
「あはは。まどっちの手だー。もっといっぱいさすって」
いっぱいって……。
よく分からないが、言われた通りに動かせるだけ手を動かしてみる。
鎖骨から肩甲骨にかけて、骨の硬さは感じるものの、覆っている肉と皮膚は適度な弾力と柔らかさがあって、俺の手に吸い付きつつ押し返すような、複雑な機能を発揮している。
腰椎を伝って下へ行くに従って、女性らしい曲線と感触が増していく……って、初めて触った俺に女性らしいもへったくれもないのかもしれないが、それくらいの事は本能的に感じる。
男の俺とは身体の造りが全く違うのだ。
更にそこから下の方に行くと、頭がおかしくなるような柔らかさで、どれだけ押してもその形に変形してくれるような錯覚がする。
でも相手は人形でもマネキンでもなくて、アンナだ。
痛がるような強さで触るわけにはいかない。
壊れるほどに抱き締めてもいけない。
しかし理性の限界が近い。
人と触れ合った経験の無い俺にとって、アンナの身体はあまりにも強烈過ぎる。
脳を飛び越え、本能が欲してしまっている。
徐々にアンナの身体からも力が抜けてきているのが分かる。
同じ体勢のはずなのに、重みが増している。
このまま二人の身体が混ざってしまいそうだ。
フー。
「ひっ!?」
アンナが俺の耳に息を……。
興奮しているのか?
興奮してくれているのか?
俺の身体もわけが分からず総毛立ち、ゾワゾワしている。
よーし、興奮してるなら……。
フー。
「ひっ!」
もっとアンナの感触を味わおうとする俺の手の動きを妨げるように、また耳に息を吹きかけてきた。
フーフー。
「………………」
フーフーフー。
「…………アンナ?」
……。
…………。
まさか。
「お、おい、アンナ?」
フーフーフー。
寝てる……?
「おーい。アンナー?」
フーフーフー。
寝てるなこれは、確実に。
ハァ。
つい溜め息が漏れた。
眠くなるような退屈な愛撫で悪ぅございましたね。
っていうか、裸で抱き合ってる時に寝る、って!
くっくっくっ……。
ふふふふふ……。
「あっはっはっはっは!」
「ん?何?」
「あーっはっははははは!」
「まどっち?」
「ふひー!ふひー!ははははは!」
もう何が何だかよく分からない。
とにかく嬉しくて楽しい。
笑いが止まらない。
寝てしまったアンナにガッカリする事も無く、まして腹立たしさなんて微塵も無く、こんな状況でも気を許して寝てくれた事が本当に嬉しかったのである。
そしてバカみたいに緊張しまくってた俺が我ながら滑稽で、そのギャップが面白かったのだ。
その後もしばらく笑いは止まらず、アンナに心配されてしまった。
「まどっち?大丈夫?死ぬの?」
「死なない!」
こんなやり取りもありつつ。
お腹が痛くなるほど笑うなんて生まれて初めてだ。
よく笑う人は健康で長生き、などと言われているのを耳にした事があるが、なるほど確かに納得だ。
つまらない事もくだらない事も、過去の傷も未来への不安も、性欲もムードも、何もかも吹き飛ばしてしまう力が笑いにはあるらしい。
すっかりムードの無い雰囲気になってしまったので、アンナの身体が冷え切らないうちにタオルで拭いて服を着せ、俺も同様に服を着てユニットバスから出た。
今はもうそんな流れでも精神状態でもないので、またバスタオルはしっかり折り畳んだままである。
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