▼目次
【ハイジ】
高校に入っても、私は一人だった。
そこはお母さんの母校で、制服はお母さんのお古。
高校の制服のデザインは既に変更されていたけど、高校側が了承したので、私だけ旧制服で通う事になった。
私のうちは制服が買えないくらい貧しいわけではないけど、それは別に構わない。
私は特殊な生徒。
私と関わると、その人はいつか傷付く。
私が傷付けてしまう。
だから、特殊な存在。近寄りがたい存在。そうなるのが一番。
私からは誰にも近寄らない。それで全て上手くいく。
産まれてから今まで、色々な事を言われてきた。
「個性的」
「発想が人と違う」
「普通じゃない」
「天才肌」
「ちょっとおかしい」
「わがまま」
「狂ってる」
色々と。
「何を考えてるのか分からない」
色々と。
「バカ」
「嘘つき」
色々と。
「空気が読めない」
……色々と。
私に関わった人が必ず抱くのは負の感情。
こちらが好意を持てば必ず好意が返ってくるほど、人間は簡単じゃない。
好意を持った人に嫌われたら、私は違う場所へ逃げるしかない。
だから誰とも関わらない。
そう想っていたけど……
【ハイジ】
入学レクリエーションで動物園へ行った時、他のクラスの人達が会話しているのを耳にした。
今まで生きてきて、一度も出会った事が無いタイプの人達だった。
興味深くて、ずっと後ろをついて歩いた。
とても面白い人達だった。
付き合っているようにも見えるけど、彼の方はずっと彼女の言葉に怒ったり困ったりしていて、彼女の方はずっと機嫌が悪そう。
でも会話は絶え間なく続けている。どちらかというと、彼女の方から進んで会話している。
彼女はどうやら彼の事が好きなんじゃないかと思った。
でも私には人の心はよく分からない。
少なくとも、今まで仲良くしてくれた人達とは全く比べられない。
とても興味深かった。
自分からこんなに誰かに興味を持つのは産まれて初めての経験だった。
そうして私は、機会を窺い続け、タイミングよく彼と会話をする事が出来た。
色々あって、彼と彼女は付き合う事になった。
とても嬉しかった。
どうして上手くいったのかはよく分からない。
直接やってもダメだった。
何もしなくてもダメだった。
想いを聞いていてもダメだった。
今回何故上手くいったのか……
私から興味を持ったからだろうか。
二人の事をもっと知りたいと、私から思ったからだろうか。
でもそれもたぶん違う。
二人が元々付き合うべき二人だっただけかもしれない。
私は結局、何もしていないのかもしれない。
全く役に立っていなかったのかもしれない。
それに、この二人が付き合えたからって、過去に傷つけた大切な人達の傷が癒えるわけじゃない。
【ミニー】
どういうわけか彼と付き合い始めることになったけれど、一体全体あのハイジとかいう女の子が何者なのか気になる。突き止めたい。
彼は出席簿にも名前が出ていなかったとか言っていたけれど、よくよく見たらちゃんと名前は載っていた。
彼は彼女の名前が【ハイジ】とカタカナで載っていると思ったらしい。全く早とちりにもほどがあるわ。
そんな節穴の目を持つ大木のように大らかな存在かもしれない彼と付き合い始めて数日後、彼が私とハイジを引き合わせたおかげで、彼女と初めてまともに会話する機会を得た。
やっぱり変な子。という事は面白い子。
他の人はきっと彼女の性質や言動に目を奪われるに違いない。元々がああいう変な子なのだ、と。
でも実際にはそうではないのが分かる。
彼女の言動はどこかぎこちない。変な子を演じているだけ。
その証拠に、彼女は好き勝手に話しているわけではなくて、ちゃんと話を聞いたうえでズレた事を言ってくる。
相手を呆れさせたり怒らせたりするけれど、本気で呆れたり怒ったりしないように会話をコントロールしている。
ハイジは私と彼の表情から、喜怒哀楽を必死に読み取ろうとしている。そんな目をする時がある。
彼女はハイジという外側を使って、内側を見せないようにしているだけ。
それならば私のする事はそこまで難しくない。本当に私の理解の範疇を超えた変人だったらちょっと手を焼くでしょうけれど。
でも私に掛かればほんのちょっとよ。
さぁ、後は一歩ずつ着実にハイジの正体、本質を暴いてやるわ。私相手に演じきる事なんて出来るもんですか、失礼な。
私と彼のキューピッド役のようなマネをしておいて、そのままのうのうと暮らしていけるはずが無いのよ。
固く閉ざした私の心をこじ開けるようなマネをして、腑抜けた恋する女の子のようにさせて……それなりの仕返しをしなければ気が済まないわ。
二人きりで話して、更に彼女の事が分かった。
過去に何かがあって、その傷を抱えて生きているのは疑いようのない事実で、問題はそれをいかにして訊き出すかどうかね。
それにしても、話していて面白い子というのも疑いようのない事実。
ハイジは驚いた顔を見せた直後、腕を掴んでいた私の手を振りほどいて、走って逃げてしまった。
何故かは分からないけれど、相変わらず素早いわね。
大方予想していた通り、やはり過去に友人関係で何かがあったらしい。
意外と分かりやすい反応でちょっと拍子抜けだったかしら。
このまま更に直接訊き出してしまっても良いけれど、それではちょっと面白味に欠ける。
私は一旦お役御免ね。
どんな結末になるか予想もつかないけれど、果たしてどうなるかしら。
私の仕返しをお楽しみに。
【ハイジ】
ある金曜日の朝、私のロッカーに手紙が入っていた。
味も素っ気も無い、白いルーズリーフ。
差出人の名前も、私の名前も書いていない。
「明日の正午、指定した場所に来るのよ。断る権利は無いわ」
短い手紙。でも誰からの手紙かすぐに分かった。
文章の下には地図が載っていた。
指定された場所は、毎日登下校で通る新宿の中央公園。
何故わざわざ地図を?
余白が多過ぎて恥ずかしくなったのかも?
でも、ちょっと行ってみたくなった。
あの二人と一緒なら、楽しくなりそうだから。
指定された場所を遠くから眺めると、ミニーとミッキーがいた。
いつものように彼らの背後に回り込んで、必然を隠して偶然と突然を装って話し掛ける。
一体何をするつもりなのかが分からず、立ち尽くす私にミニーが手を差し出してきた。そんな……手を繋ぐ……なんて……
心臓がくすぐられたみたいにむずむずする。何だか居心地が悪い。
でも。
でも……繋いでみたい。
逃げようとしたらしっかり手を掴まれた。
という事にしたかったから、今の状況は大成功。
人と接した経験が少ない私は、自分から手を繋ぐのは恥ずかしい。
どこだか分からない目的地に向かって歩き出すと、ミニーが小さく私にだけ聞こえるように囁いた。
驚いて隣を歩くミニーを見ると、何も言わなかったみたいに真っ直ぐ前を見て歩いている。
私の視線に気付いて、横目で私を見下ろした。
何でもお見通しみたい。
繋いだ手が何だか熱くなった。
一体どんな怪しい場所へ連れ込まれるのかと思ったら、目的地はただの喫茶店だった。
店に入った瞬間、店の一番奥にある六人掛けのテーブル席のお客が目に飛び込んできた。
他のお客と違って何だかカラフル。
きっと、記憶のどこかとピッタリ重なったからだ。
それは三人の女性客。
「あっ」
私が小さく悲鳴を上げると、ミニーが繋いだ手に力を込めた。
たぶん、私が逃げないように。
そのテーブル席に座っていたのは、キヨエちゃんとミサキちゃんとカリンちゃんだった。
どうしよう。
どうしよう。
どうしよう!
今の私は空気が読めないバカで嘘つきで分からない人をしている。
キヨエちゃんと接する私も、
ミサキちゃんと接する私も、
カリンちゃんと接する私も、
それぞれ違う私。違うマネキンの中へ私を押し込めて生きてきた。
今はもうどこにも無い。
マネキンはそれぞれ三人の言葉で壊されてしまったから。
どうしよう……
私が傷つけた三人の大切な人達。
きっとどれだけ謝っても許してはもらえない。
だから、こうして私に会いに……
足が震えて、その振動が手からミニーに伝わってしまっているみたい。
恥ずかしかったミニーの手が、今はとても心強い。
足が震えて、身体がすくんで動けない私を引っ張って、店内に入っていく。
私達が来店した事に気付き、三人が泣き出しそうな顔で立ち上がった。
「ハイジちゃん!」「ハイジちゃん!」「ハイジ!」
何が何だかよく分からない。
いつの間にか私は三人に囲まれていた。
「ごめんね」「ごめんね」「ごめん、ハイジ」
どうして謝るの?私だけが悪いのに。
どうして泣くの?まだ泣くほど怒ってるの?
どうして抱き締めてくれるの?私の事なんて嫌いでしょ?
ミニーとミッキーに助けを求めるように振り返ると、もう二人とも店からいなくなっていた。
こうして私は……
空気が読めないバカで嘘つきで分からない。
そんな私は……
エピローグ
言葉は人を傷付けるとはよく言ったものだ。
悪口、妬み、誹謗中傷、罵詈雑言。
傷付けるだけならまだ良い。
時に人は言葉で死んでしまう。
ペンは剣より強し。
刺された傷口からは目には見えない血が噴き出す。
目に見えないだけに性質が悪い。
肉体ではなく心が流す、悲しみという名の黒い血液。
血を流し続ければ、いつか心は死んでしまう。
心が死んでしまったら、肉体だっていずれ死ぬ。
その傷口を塞ぐには別の言葉が必要だ。
愛の言葉、優しい言葉、感謝の言葉。
言葉は人の心を癒すとも言われる。
人を癒し、生かす力がある。
時に言葉は薬よりも強力だ。
薬なのか毒なのか。
使い方はその人次第。
生かすも殺すもその人次第。
分かっているのに、人は人を言葉で傷付ける。
分かっているから傷付ける。
意図していない時もある。
勘違いや擦れ違い、行き違いや食い違い。
人は言葉に揉まれ続けて生きていく。
さぁ、どうだったかしら?
宣言した通り、仕返しに成功したんじゃないかしら。
私と彼のキューピッド役のようなマネをしておいて、そのままのうのうと暮らしていけるはずが無いのよ。
固く閉ざした私の心をこじ開けるようなマネをして。
腑抜けた恋する女の子のようにさせて。
この上ない幸せをもたらされて。
せめて同じくらい喜ばせなければ気が済まない。
それが私の仕返し。
という名の恩返し。
終わり