「なぁ、一体どうしてアンナは過去の俺の事を知ってるんだ?」
涙がようやく引っ込み、気持ちも落ち着きを取り戻すと、頭の中は一気にクエスチョンマークで埋め尽くされた。
俺の過去を知るアンナ。
過去なんて生易しいものではない。
当時の心の中まで知ってしまっている。
一体何者なんだ。
「だってサンタだもん」
「子供の赤ちゃんの質問の親かお前は」
「赤ちゃん?」
「いや、何でもない……」
【赤ちゃんはどうやって生まれるの?という子供の質問に対して真顔で嘘を教える親のように平然とあり得ない事を言うな】という例えツッコミが空振りに終わったが、今重要なのは俺のツッコミ能力の乏しさではない。
「えーと、とにかく、一体どこの誰なんだ?」
重要なのは、俺が子供の頃、アンナは俺とどんな関係だったのか、である。
当時近所に住んでいたとか、俺より若そうに見えて実は当時クラスメイトだったとか……そんなところだろうか?
もしそうだとしても俺の心の中を知っている理由にはならないわけだが、そこは所詮子供の頃の記憶だし、俺には悩みを打ち明けるほど親しい友人がいたのかもしれない。
「うーん。元々何だったのか、って事?」
「は?どういう意味だそれは」
やはりどうも会話がまともに噛み合わない。
またお互いに全く違う事を話しているような感覚がする。
「私はね。まどっちが作ったの」
「え?どういう意味?」
「私はね。まどっちが作った貯金箱なの」
「…………え?」
「お金を入れる貯金箱としては壊れちゃったけど、中にはお金だけじゃなくてまどっちの想いもたっっっくさん詰まってたから、それだけは絶対に無くさないように、って」
「………………」
「そんな私を神様が人間に作り直してくれて、それから私はまどっちの願いを叶えたくて、恵まれない子供を一人でも多く幸せにしたくて、今までずっとサンタになる授業を受けてきたの。大体2年も掛からずに合格するはずなんだけど……でも元々天使だったり人間だった人達と比べて、元々生き物じゃなかった私は【人間社会】の授業の成績が凄く悪くて……凄く時間が掛かっちゃって。しかもこれだけ時間が掛かってもまだおまけの合格で……まどっちの夢をずっと叶えられなくてごめんね」
「………………」
言葉がない。
色々言いたいが、驚いてしまって口が動かない。
嘘だろ?
そんな事って、あり得るのか?
でも確かに、あれだけ大切にしてた貯金箱なのに、破片を入れたビニール袋がいつの間にか無くなってたんだ。
何かの拍子に誤って捨ててしまったのかと思っていたのだが……。
はっ!
キッチン側にいるアンナの方を向いていた俺は、勢いよく振り返った。
窓側には今も、天井近くまで積み上げられたプレゼントの山がそびえている。
「じゃぁこれは……?」
「うん。これから配るの。施設の子供とか、クリスマスを祝えない子供とか」
「そ、そう……」
贈り主不明の寄付が届くニュースをたまに目にするが、それってもしかしてこういう事だったのか?
今まで何を言ってるのか分からない事も多かったアンナだが、アンナがサンタだと信じてしまうだけで、今までの言動の辻褄が全て合う気がしてきた。
自分の年齢も知らないし、食べ物も何も知らないし、風呂も知らないし、自分で食べようとせず俺が口に入れて食べさせなきゃならないし、下着もつけてない……は神様とやらの趣味じゃないだろうな……。
チェーンを開けてないのに突然部屋に積み上げられたプレゼント……。
なるほど。
っていうか、俺が作ったペリカンの姿で部屋に来てくれたらすぐ分かったのに。
鳥が美女に姿を変えてやってくるって、神様とやらの間で大昔から決まってる事なんだろうか。
とはいえ、この目の前の途轍もなく美しい女性と、俺が作ったペリカンの貯金箱とが全く脳内で変換出来ない。
そもそも俺が作ったのはメスのペリカンだったのか!?
最早そういう人間の常識的で下世話な脳で理解出来るような問題じゃないんだろうな、これは。
でも待てよ。
アンナがサンタという事は……。
「な、なぁ、このプレゼントを全部配って、クリスマスが終わったらアンナはどうなるんだ?」
本物のサンタの住んでいる場所が地球なのかあの世なのか天国なのか、俺は知らない。
クリスマスが終わればここではないどこか別の世界へ行ってしまうのだろうか。
そのうちいなくなる……って言ってたし……。
今まではアンナの素性が全く分からなかっただけに、このままいなくなったらもう会えないのではないか、という予感めいたものは確かにあった。
でもあくまで違う家に引っ越すだけとか、二人にその気があればまたすぐに会えるのでは、という楽観的な期待も心の片隅にあった。
もし別の世界に行ってしまったら、ただの人間の俺には太刀打ち出来ない。
「うーん、また授業かなー?その前に追試があるはずだけど」
「そっか……」
やはりここにいるわけにはいかないのか。
どこかの金持ちエロジジイに買われるよりも、遠い国の施設に行かされるよりも遠い場所だ。
一人前のサンタになりたくてずっと頑張ってきたというアンナの願いを叶えてやりたい気持ちもあるが……。
このまま離れ離れになりたくない。
俺はもうアンナの事が……。
「ふわーあ」
目の前で大あくびをした。
綺麗な赤桃色の小宇宙。
頭がゆらゆら揺れて、俺の肩におでこを付けた。
どうやらもう限界らしい。
「もう寝るか?ベッドで寝ないと風邪引くぞ」
「ほえ?あはは、昨日は床で寝ても風邪引かないって言ってたのに」
「そ、それとこれとは話が別だろ」
自分の身体の事はどうでも良いが、大切な人の事を心配するのは当然だ。
それはさておき、すっかり身体の力が弛緩し、俺にしなだれかかった状態のアンナは自力でベッドに移動する気はないらしい。
どうやらまたもや初めての体験が待ち受けているようだ。
まずはアンナの両脇に腕を滑り込ませ、抱き締めるようにして少し身体を浮かせた状態を今度は左腕一本で支え、脇から抜いた右手は両膝の裏に滑り込ませた。
平たく言うと【お姫様抱っこ】というヤツである。
今日は【お姫様抱っこ】という単語が【サンタ抱っこ】になった歴史的な一日である。
170cmほどの俺とあまり身長の変わらないアンナだが、体重はずいぶん違うようで、特に気合いを入れる事もなく持ち上がった。
すぐにベッドに乗せる事はせず、まずは足で器用に掛布団をどかし、アンナを横たえた。
呼吸が既に睡眠時の状態になっている。
もっと色々と今後の事を訊きたかったが、仕方がない。
この安らかな寝顔を妨げるわけにはいかない。
どっちみちアンナも今後の事は詳しく把握してない様子だったし。
俺もアンナの隣に寝そべり、ちゃんと布団を掛けてやると、寝ているはずのアンナが俺の手を取った。
「っ!?」
そのまま親指を咥えられた!
今まで抱きかかえていた時に伝わってきた体温よりも、アンナの口の中は明らかに熱い。
口の中で吸ったり舐めたりしている。
食べ物の夢でも観ているのかと思ったが、歯を立てる事は無い。
よく分からない。
よく分からないが、アンナは入浴中に【まどっちの手】にずいぶん思い入れがあるような素振りをしていた。
そりゃそうだ。
今にして思えば至極当然な理由である。
何しろアンナは俺の手で作った貯金箱なんだから。
特にくちばしの部分は時間を掛けてこだわった。
お金が入りやすいように、でも逆に中からお金が出てこないように、パッと見て貯金箱とは分からないように、パッと見てペリカンと分かるように。
当時は出来を褒められて嬉しかったが、あのペリカンがまさかこんな姿になるとは。
いくらなんでも出来が良過ぎだろう。
神様とやらの才能に少し嫉妬してしまいそうだが、あくまでこれは元の素材が良かったから、と思う事にする。
親指を咥えさせたまま、頬を撫でた。
明日は12月24日。
クリスマスイブ。
世間的にはクリスマスイブの夜中、子供が寝静まった時にプレゼントを枕元に置かれ、25日の朝に目が覚めて大喜びする、という流れになっているはずだ。
それくらいは一度も経験が無くても知識として知っている。
重要なのはその知識ではなく、少なくともアンナはもう一日ここにいる、という事だ。
何とかならないのだろうか。
あの時母に壊され、いつの間にか俺の手元を離れ無くなっていた貯金箱。
また手放すなんて、絶対に嫌なのに。
だって……。
だって今回は、誰もアンナを壊してないじゃないか。
指を咥えられ、頬を撫でたまま、いつの間にか俺も眠りについた。
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