【無料小説】 だから俺はクリスマスが嫌いなんだ 恋愛小説

だから俺はクリスマスが嫌いなんだ:12月23日その2

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というわけで改めて、12月23日。
俺は結局朝食の時間まで寝る事はせず、パソコンで時間を潰した。
家出人のニュースとか、日本での人身売買の噂話とか、そういうのを調べたかったのである。
でもやはりネットの情報はネットの情報であって、目ぼしいサイトは見付からなかった。

アンナは再び布団に潜り、ずっと安らかな寝顔をこちらに向けたまま寝続けていた。
7時になり、パンを焼いてコーヒーを淹れるためのお湯を沸かしていると、パンのにおいに反応したのか、アンナが目を覚ました。
横を向いて寝転がった体勢のまま、視線だけをこちらに向けている。

「何やってるのー?」

「朝飯のパンを焼いてるんだ。食うか?」

「パン?カップパン?」

「いや、パンはカップには入ってないぞ」

「そうなの?じゃぁラーパン?」

「昨日のラーメンの説明がパンになっちゃってるじゃないか……って、おい、パンを知らないのか?」

「うー、だから成績が悪いの!」

いやいやいや、その授業があるかどうかについてはもうどうでも良いとして、カップ麺よりもパンを知らない方が更に問題あるだろう。
麺の文化が無い国の人だって、パンくらいは食べるんじゃないか?
貧乏人だって、セレブだって、分け隔てなく食べるくらい、パンはとても幅広い食べ物だ。
本当に、一体アンナは今までどんな生活を……、

チーン。

思考を遮るようにトースターから程よく焼けた食パンが2枚飛び出してきた。
俺はこの焼けたパンが上から飛び出してくるタイプの、食パン専用のトースターが大好きで、これを使いたいがために食パンを食べていると言っても過言ではないくらいだ。
子供の頃から食パンはよく食べていた。
当然誰も料理なんて作ってはくれなかったから、俺はずっとインスタント食品や冷凍食品が主食だったわけだが、温め用の電子レンジやオーブントースターは家にあるものの、このパン専用トースターは買ってもらえなかったのである。
トースターから出てきたパンにバターを塗って、ハムを乗せたり目玉焼きを乗せたり、コーヒーや牛乳を飲んだり、それが幼かった俺にとって【幸福な家庭】のイメージ映像だったのだ。

取り出したパンにバターを塗っていると、起き出したアンナがまた俺にぴったり寄り添うようにして座ってきた。
一瞬新婚夫婦になったような錯覚がして、胸の鼓動が速まってしまった。

「食べるか?」

口元に差し出すと、アンナは真っ青な瞳で俺の目を見詰めてきた。

「熱くない?」

「まぁ焼き立てだけど、そこまで熱くないんじゃないかな。手で持てるくらいだし」

「先に一口食べて」

「お、おう。それじゃ……」

「あーん」

「ふがっ!?」

俺が四角い食パンの角の一つにかぶりつくと、隣の角をアンナが食べようとしてきた!
頬と頬が触れ合い、アンナが噛んだ【サクッ】という音が物凄く大きく聞こえた。

「な、な、な」

「美味しいー!」

「さ、先に食べて、って言ったじゃないか!」

「ん?食べたから熱くないのかなー、と思って」

な、なるほど、俺がかぶりついた時点で、大丈夫な熱さだろうと判断したわけか。
見ると、食パンは2つの角が無くなり、雑なつくりのジグソーパズルのピースみたいになっている。

「まぁ良い、ほら、残りも食べて良いぞ」

手に持った食パンを手渡そうとすると、

「あーん」

「………………」

仕方ない。
手渡すのを諦め、そのまま食パンを食べさせてやる。
しかし、昨日のカップ麺の時は発生しなかった問題が巻き起こった。
アンナが順調に食べ進め、食パンがどんどん小さくなっていき、次の瞬間――、

「ひえっ!?」

「ん?」

残りの食パンもろとも指ごと食べられた。
アンナも瞬時に異変に気付いたのか、運良く歯は立てられずに済んだが、俺の指を咥えたまま、食べ物なのかどうかを確認するかのように何やら舌先でニュルニュルと確認している。
慌てて口から引き抜くと、親指と人差し指が濡れて光っている。

「あはは、どうしたの?顔真っ赤だよー」

「ゆ、指を食べるな、指を」

「食べてないよ?」

「い、良いから、もっと食べるか?」

「うん!」

何なんだ今の感触は。
俺だって自分の指くらい舐めた事はあるが、自分の舌と他人の舌ではまるで感触が違うようだ。
何とも言えない感触により、何とも言えない感情が顔を出さないように気を付けつつ、もう一枚あった食パンをアンナにかざした。
その間、左手では更に2枚の食パンをトースターにセットして、スイッチを入れた。

「ひえっ!?」

すると突然右手に妙な感触が。
見ると、アンナが俺の手に食い付いている。

「何をしてんだ!パンを食べろ、パンを!」

「あはは!やっぱり赤くなった!どうして?」

「し、知らん。免疫が無いんだから勘弁してくれ」

「免疫?これって病気になるの?」

「病気……」

「なるの?」

「な、ならないならない、それは大丈夫」

なるとしたら恋の病とかだろう。
って、何を考えさせてるんだこいつは。

「とにかく女性と接する経験が著しく欠如してるから、アンナに対してもどうしたら良いのか分からないんだよ」

「そうなの?彼女は?」

「生まれてこの方、そんなタイミングもチャンスも巡って来た事が無い」

「欲しい?」

「うーん、どうだろうな。そんなに深く考えた事も無いし」

「ふーん」

嘘だ。
俺だって年頃の男だし、実際にはよく考える。
学生時代も近くに女性はたくさんいたし、今も社内に女性の同僚がたくさんいる。
でも、彼女はおろか、女性と親しくする事すら俺には難しい。
緊張して身体が強張って、何を話したら良いのか分からなくなる。
かつてのクラスメイトからも、今の同僚からも、【暗くて絡みづらいヤツ】と思われているだろう。
せめて男性と接するように自然体でいられたら、と思うが、母の記憶が脳にも心にもこびりついて、消したくても消せないのだ。
誰かが記憶を上書きしてくれたら、と願ったりもするが、その前にまずきっかけを生む勇気すら持ち合わせていないのである。

そういう点では、この目の前のアンナは前例にない存在だ。
誰も踏み入れた事が無かった俺の脳と心を土足で踏み荒らしまくっている。
状況的に接するしかなかったとか、勝手にきっかけが発生していたとか、そういう次元の話ではない。
きっかけなんか何も無かったとしても、アンナと出会ったら必然的にこういう状況になってしまったのではないか、と思わせる圧倒的な無茶苦茶感。
存在自体があまりにも不思議過ぎる。
今までに全く見た事も無い、まるで人間ではない別の生物みたいである。

「ひえっ!?」

つい考え事をしていたら、またアンナに指を食べられた。
いつの間にかもうパンを食べ終えていたらしい。

チーン。

タイミング良く、先程入れた2枚もトースターから飛び出してきた。
さて、またバターを塗って、今度はジャムもアリかもしれない……。

「って、おい、いつまで指を咥えてるんだよ」

「わはんない」

アンナが口を動かすと、唇の感触と舌の感触が伝わり、首筋に電気が走った。

「分からないなら離してくれ」

「なんはおひふく(何か落ち着く)」

「お前はいつまでもおしゃぶりを卒業出来ない幼稚園児か!」

今度は例えツッコミが上手く言えた。
などと自画自賛している場合ではない。

「ほら、パンが焼けたから。な?離してくれ」

「うー」

俺の指を吸ったり舐めたりしていたアンナは唸りながら、名残惜しそうに指を解放した。
わけが分からない。
濡れた親指と人差し指の間で、アンナの唾液が糸を引いている。

今度はバターを薄く塗り、一口大にパンを千切り、その上にスプーンでイチゴジャムを乗せた物をアンナの口に入れてやった。
アンナは丸い目を更に目を丸くしながら、

「美味しい!」

とリアクション。
俺も同じ物を自らの口へと入れた。
同時に先程アンナが舐め回した親指と人差し指を、アンナにバレないように舐めてみる。
甘い。
気がする。
アンナの味。
でも、自分で舐めてもやはり全く気持ち良くはないし、背筋がゾワゾワする事も無い。
今度はその指で、アンナに先程と同じジャムパンを食べさせると、案の定指ごと食べられた。

「美味しい!」

唾液の交換。
口の中のパンとジャムと舌の感触に包まれ、背筋に電気が走った。
指がアンナの口の中の甘さを感じる。
気がする。

「なぁアンナ」

「ん?」

「お前は人の指をしゃぶったりするのが好きなのか?」

「うーん、そうかも」

胸が締め付けられる。
そうか、普段からこうして……一体どこの誰と……。

「でも初めてだからよく分かんない」

「え?そうなの?」

「うん」

「こんな風にご飯を食べさせてもらったりしないのか」

「うん。全然。初めて食べた」

………………。
何だよ。
わけが分からない。
アンナの行動も分からないが、やはり全く分からないのは俺の心の方だ。
何故俺はこんなに喜んでいるんだ?
アンナの手を取って踊り出したいくらいである。
たった一日で俺はやはり何かの病気になってしまったのかもしれない。

結局アンナは食パンを5枚食べた。
俺が1枚食べ、それだけで6枚切りの袋が空になってしまった。
最近コンビニなどで見掛ける、2枚や3枚しか入ってない食パンだったら全然足りない食欲である。
食費には特にこだわりはないと思っていたが、このままではエンゲル係数がとんでもない数値になってしまうかもしれない。
……。
アホか俺は。
アンナは数日でいなくなってしまうのに、何を気にしているんだ。

気を取り直して、身支度を済ませて部屋を後にした。
未来なんて見ないように、今歩くべき駅までの道を歩く。
夜になると派手な輝きを放つクリスマスセール中の駅前商店街だが、太陽が顔を見せている間はすっかり眠っている。
夜になるとちらほら見掛ける、恋人達の姿も全く見当たらない。
どこから湧いて出てくるんだ、あいつら。
意外と商店街が盛り上がってるように見せるために雇われたサクラのバイトだったりして。
まさかそれはあり得ないか。
今はサクラの季節ではなく、イルミネーションの季節である。

10分ほど電車に揺られ、会社に到着。
会社での様子については、特に何も無いので割愛させてもらう。
いつものように、成功と失敗を定時まで繰り返しただけである。
終業後は、一目散に帰宅の途へ。
部屋が、アンナがどんな状況なのかを早く確認したい。

「俺が部屋を出て鍵を掛けたら、このチェーンをするんだぞ」

と、誰も侵入したりしないように手は打ってきたが……。

昨日までと同様に、駅前を足早に通り過ぎる。
相変わらず目をギラつかせた呼び込みの店員達が、俺に多くの犠牲者達の仲間入りをさせようと目論んで声を掛けてくるが、聞こえないフリを決め込む。
そんな俺の姿はさしずめ、クリスマスの喧噪を目にしたら死んでしまう呪いにかかった競歩の選手にしか見えないかもしれない。
途中でチラリとフランス料理屋の入口の貼り紙を見る。
【27日まで予約で埋まっております。年内は30日まで営業いたします】
マジかよ。
26日、27日って、最早クリスマスでも何でもないだろうに。
24日がクリスマスイブなら、26日はクリスマスアダムとか呼んで祝うつもりなのか?
宗教観が柔軟過ぎて、本来の意味から大きく逸脱してしまう事があるのが日本人の悪い癖だ。
クリスマスが終わってもクリスマスが続くような国になるのだけは勘弁して欲しい。

途中でスーパーに寄り、片っ端から食料をカゴに入れ、大きなレジ袋が2ついっぱいになるくらい購入した。
301号室の前へと辿り着き、鍵を開ける瞬間、手が震えた。
レジ袋が重くて手が疲れていたからではない。
一瞬、中にアンナがいない状況が頭をよぎり、緊張が走ったのである。
301号室のドアは、あまりにも今までの日常と変わらない様子で閉ざされていて、ドアの向こうに本当に昨日と同じ光景が広がっているのかどうか、半信半疑になってしまったのだ。

ガチャン。

恐る恐る、ゆっくりと玄関を開ける。

内側からチェーンが掛かっている。
ハァ。
肺に溜め込んだ空気が漏れた。
良かった。
アンナはまだ中にいる。

「アンナー、開けてー」

声を掛けたが、反応が無い。
よく見たら、部屋の中が暗い。
一気に不安になり、声を張り上げた。

「アンナー!?おーい!」

チェーンが掛かっていて、中に入れない。

「アンナ―!」

同じ階に住む人が見ていたら、物凄く恥ずかしい状況だろう。
夫婦喧嘩とか痴話喧嘩をして、部屋から閉め出されたようにしか見えないからな。
でもそんな事に構っていられない。

「アンナ―!」

一際大きな声を出すと、薄っすら見える暗い中で、リビング兼ダイニング兼寝室から人が出てくるのが見えた。

「んー?まどっち?」

目を凝らすと、ようやく目をこするアンナの姿が確認出来た。
相変わらずサンタコスのまま、ゆっくりとした足取りで玄関までやってきた。

「おお、アンナ、開けてくれ」

「んー?どうやるの?」

「いや、朝教えたじゃないか。チェーンを上にやるんだ」

「そうだっけ?ふわーあ」

どうやらアンナは寝てたらしい。
一旦ドアを閉めると、中からカチャッとチェーンを外す音が聞こえ、再びドアを開いた。

「あー、良かった。ただいま」

「おかえりー。何が良かったの?」

「いや、アンナがいなくなってるんじゃないかと思って」

「あはは、ちゃんといなくなるよー」

「………………」

何故だろう。
俺にとって何が良い事なのか、さっぱり分からなくなっている。

とにかくまずは買ってきた食料を、棚、冷蔵庫、冷凍庫と、それぞれ適所に補充し、ネクタイを緩めながら部屋に――、

「えっ」

部屋の中は、想像を絶する光景が広がっていた――。

続く

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